「ダイアローグ 対話から共生へ、議論から対話へ」
このタイトルに惹かれて購入した本だが、読んでいて頭にサクサクと入らず「どうしてうまく頭に入っていかなのだろう?暑さのせい?」などと気候のせいにし、結局活字だけを追っている読み方になってしまった。
しかしそうは言っても、幾つか「なるほど!」と思った処があった。
「対話の目的は、物事の分析ではなく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。
いわば、あなたの意見を目の前に掲げて、それを見ることなのである」
「思考とは、実のところ、鋭敏な暗黙のプロセスのことを指すと、私は提案したい。考えることの具体的なプロセスは非常に暗黙的なものである」
問題を問題と捉える人と、気づかないでいる人がいる。どうしてなのだろう?と思う。
気づく・気づかないは、体験や、対話が身体に棲みこんだ暗黙知によるものだろうか?
論理的説明できないが、対話のプロセスが何らかな影響を与えると思う。
再読しいたくなった。
デヴィッド・ボーム(金井真弓訳)「ダイアローグ 対立から共生へ、議論かから対話へ」英治出版2011